妊娠日記 4人目出産顛末記(になるのか?)



〜妊娠後期〜


あま:夫
おじいちゃんおばあちゃん:夫の両親
大パパ大ママ:私の両親
巧:長男(5年生)
瑞紀:次男(2年生)
なお:三男(保育園年中組)

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2001/8/8 wed

今週から28週で妊娠8ヶ月に入った。いよいよ妊娠後期である。
火曜日に定期検診に行くようにしているのだが、 昨日は夕方から関戸橋の花火を見に行ったため、午前中もバタバタしていたので、 1日ずらして今日定期検診へ。あまは今日から3日間は仕事があり、 おばあちゃんもいなかったので、 昨日から泊まっていたがるに頼んで子どもたちを見ていてもらい、 その間に検診を受ける。
まだ赤ちゃんは頭がお腹の右側、足が左側という状態らしく、いわゆる逆子である。 ていうか、検診受け始めてからずーっとそうなんだけど。 それでもまだ、この時期ならお腹の中で動けるので、 逆子体操をするほどの時期ではないとのこと。
例の女の先生が腹囲を測ろうとしたとき、赤ちゃんがごろんと動いたらしく、 目で見てわかるほどお腹が動いて、先生が「おう!」と声を上げたのがおかしかった。
だいたい体重が1300gくらいで、大きさ的には順調とのこと。
私のほうは、この前の伊東旅行で体重が戻ってしまい(52kg)、 一時期は減っていたので怒られたわけではないが、 急激に増えるのがよくないのでと少し注意される。 1週間で500gまでなんて、きついよね…。

2001/8/11 sat

東武動物公園へ、バイオハザードナイトメアを見に行く。
先月もとしまえんに行ったけれど、 遊園地なんて妊婦は乗れないものばっかり(当たり前)なので、 妊娠中に行ってもあまり面白くはない。 まあ、なおが乗れないものも多いので、 どうせ一緒に待つようだからいいんだけどね。
としまえんのバイオ4D映画は、 椅子が動くので妊婦はダメと書いてあったが、 これが目的で来たんだと交渉したら、動く椅子の隣に普通の椅子を用意してくれて、 無事見ることができた。
今回のは、大阪同様自分の足で歩くだけなので、 平気だろうと思ったらやっぱり 「妊娠中、または妊娠していると思われる方のご入場はご遠慮ください」と書いてある。
なんでだよ!と聞いてみたら、単にショックを受けるといけないので、ということらしい。 「大阪にあったのと同じですよね?だったら平気です」と言うと、入り口にいたおばさん、 「大丈夫?生まれない?」だって。おいおい。

あ、備忘録として。
この夏はすごく暑くて、短パンを穿きたい日が多いが、 昔買ったはずの妊婦用の短パンがどこかへいってしまった。 誰かにあげてしまったような気もする。かといって、また買うのもムダだし。
んで、あまの短パンを借りて穿いてみたら、これがピッタリ。 というわけで、ユニクロに行って男物のMの短パンを2枚ばかり買った。 安いし、私が穿かなくなってもあまが穿けるし、言うことなし。

2001/8/14 tue

お盆の中日。親戚のみなさんが来る。 とりあえず挨拶には出たものの、すごく動くので痛いほど。突っ張るのも痛いが、 蹴られるのも痛い。夕方は2階に引っ込んでしまった。
甘いものを食べたい欲求が強くなってきたが、 病院で体重が増えると怒られるのでガマンしている。 食事も量を少なめにしていたせいか、逆にまた少し体重が減った(約51.5kg)。 どうも「キープ」ができない。

2001/8/21 tue

妊娠30週。
ここ数日、お腹がかなり頻繁に張るようになってしまった。 今日の定期検診で「気になることはありますか」と聞かれて、そのことを言ったら、 内診をしてくれて、やっぱりちょっとヤバめとのこと。 子宮口は閉じているが、やわらかいのと、 子宮口から羊水までの距離が短いのが気になるとかなんとか。
張り止めの内服薬(ウテメリン)を処方してくれたが、 1週間後にまた来るように言われる。 薬で改善されないようなら、入院も考えましょうと。うひゃ。 なおのときも、31週で切迫早産になりかかって、2週間くらい入院したんだよねぇ。
さらに、相変わらず頭が右側にあり、これもそろそろ考えないと、と言われた。
下手をすると帝王切開になるかもしれないが、もうどうせ最後だし、それでもいいかなぁ。
帰ってから薬を飲んで、夕方まで寝る。夕食はしばらくおばあちゃんに頼むことに。

ところで、今日行ったらいつもの先生は曜日が変わったとかで、 女性の先生でもない、初めての先生に診てもらった。 「性別は聞きましたか?」と聞かれたので、 「女の子、かも、と言われました」と答えたら、「ピンポ〜ン」だそうだ(笑)。 まあ、あんまりはっきり言っちゃうとアレなんで、 女の子「かも」のままにしておきましょう、とは言われたが、 超音波の写真を見て「ここが女の子のしるしだと思うんですよね」とも。 かなり確定。
ていうか、最初にもらったしおりには「性別は教えません」ときっぱり書いてあるのに、 先生方は意外とフランクで、みんなして教えてくれるなぁ。笑い

2001/8/26 sun

薬を飲んで安静を心がける日々。自宅と母屋を往復するだけで、 下界(山の下という意味)にはあれから全然下りてない。 お腹が張る回数は減ってきたが、また無理をしてぶり返したら意味がないので、 とりあえずまだ安静安静。 ずっと家にいるので、日記に書くネタがなくて困る。

2001/8/28 tue

妊娠31週。
大ママは午後早くから仕事があるというので、あまに付き合ってもらって病院へ。 内診をして、また子宮頚管長(子宮口から羊水までの距離…かな?)を計ったところ、 前回と変わっていない(3cm以上あればまあ安心だが、現在2.6cm)とのこと。 張りの回数は減った、と言ったところ、 とりあえずしばらくはウテメリンを飲んで、 安静を続けていれば入院はしなくてもよいとのことだったが、 できれば入院したほうがって感じの口調だったので、マジでおとなしくしていないと。 ただ、逆子は直ったようで、頭が下にあると聞いて、そっちは一安心。

2001/8/30 thu

保育園の流しそうめんを見に自転車で行かせた巧が、近所で車と接触したとのことで、 あまから電話。相手は、左折禁止の路地を、信号をパスするために左折してきたらしく、 そのためか車を止めもせず逃亡したとのこと。くやしい。
瑞紀の知らせであまが駆けつけたのだが、警察に知らせるのと、巧のそばにいてやるのと、 あま一人で両方はできないので、とりあえず私も車で山を降りることに。 私が巧と一緒に待っていて、あまが近くの駐在に行く。 駐在さんはいなかったものの、そこの電話で通報してきたとのこと。
救急車とパトカーを呼んでもらったが、なかなか来ない。 かなり待って、先に救急車が到着。あまのバイクを一旦家に置きに戻って、 あまが救急車に同乗して、私はパトカーの到着を待つ。
救急車が出てすぐにパトカーが来て、調書を作ってもらい、 さらに交通捜査課の人たちが来てくれて、ひととおりのことを済ませてから家に戻る。
パパと巧の迎えは、出先から戻ったおばあちゃんに頼んで、しばらく休む。 おばあちゃんが帰ってきて、食事を済ませて薬を飲んだが、 薬が効くまでにかなりお腹が張って痛み、ヤバげな感じだった。 薬が効いてきて、落ち着いたようなので、一安心。
久しぶりに炎天下で1時間も立ちっぱなしだったので、さすがにきつかったらしい。

2001/9/3 mon

今日から32週、やっと妊娠9ヶ月だ。
巧の事故のあと、なんとか落ち着いたものの、 薬が切れる朝と夜は張りが頻繁だったりするので、まだ安心はできない。 でも、もうそろそろ、生まれてしまっても生存率は高い頃。 入院の支度はほぼできているが、ぼちぼち赤ちゃんを迎える支度もしておかなければ。

2001/9/6 thu

熱のあるなおに添い寝していたら、夜7時半頃、急にお腹が痛みだし、 3分おきに痛みが続いたので病院に電話して診てもらうことに。 診察の結果、頚管長がやや短く、張りも定期的にあるため、 結局そのまま「切迫早産」のため入院。 胎児は、35週を過ぎないと、体重があっても肺が出来上がっていないので、 なんとか36週くらいまではもたせたいと言われた。 入院は最長4週間と聞いてがっくり。産むまでいるの!?
ここ2回ばかり定期検診で診てくださっていたO先生と、 まだお会いしたことのないM先生が担当医になるとのこと。

2001/9/7 fri

夕べからウテメリンの点滴が始まった。 O先生によると、この点滴は副作用で指先の震えと動悸があるかもしれない、とのこと。 打ち始めはえらく動悸が早くなってなかなか寝付けなかったが、朝起きてみたら、 お腹が一回り小さく感じるほど軽くなっていた。動悸は徐々に慣れるとのことだが、 確かに指先は震える。
トイレと洗面以外歩いちゃダメという、結構重めの安静度。 まだ何も暇をつぶすものがないので、子どもの名前を考えていた。 これまでにもかなり考えていたので、それらを反芻してみる。 萌希(もえぎ)が一番私の望む条件を満たしているようなので、自分的に気に入ってきた。 あまに聞いたらあまもOKとのことなので萌希に決定。

2001/9/8 sat

暑いせいもあるだろうが、熱が高め。 あと、点滴がもれまくりで、今日1日で3回も刺し直した。また腕にほくろが増えそう。 実はなおの妊娠のときも、切迫早産で入院し、 そのときの点滴の後が全部ほくろになっているのだ。笑い

2001/9/9 sun

午前中、妊婦検診があった。 といっても、早朝に尿検査と体重測定、 その後看護婦さんがお腹周りと子宮底の長さを計るだけ。
なおが寂しがってパパの後をくっついて歩いてるとのこと。 今日はお見舞いに私の絵を描いてきてくれた。すごくかわいい絵。 思わずベッドに貼り付ける。
でも、なぜかなお、あまり私には近寄ってこない。なんとなく照れてるのか、 今なついちゃうとまた淋しさがつのるからなのかはわからないけど、つまんなーい。

2001/9/10 mon

今日から33週。
向かいのベッドの人が退院した。あまり感じのよい人ではなかったので少しうれしい。
昼前から熱がやや高めで、氷枕をしていたが、熱が引かず血液検査と尿検査を受ける。 尿検査は、カップに取るのだと雑菌が混じるからとのことで、 尿道に管を入れて取る方式。いて〜。
結果、軽い貧血と風邪だろうとのことで、とりあえず抗生物質を3日分処方された。
O先生は休暇中らしく、入院翌日以来ずっとM先生がひとりで見えるのだが、 すごく感じのよい、切れる感じの先生。この先生が取り上げてくれるといいなぁ。
で、風邪と言われたのになぜか突然シャワーの許可がでた。火・木・土に入れるらしい。 あまが忘れずにバスタオルを持ってきてくれたことを確認(笑)してから、 明日の予約を入れてもらった。

2001/9/11 tue

木曜くらいにと言われていた診察を、突然今日受けることに。 赤ちゃんの大きさを診るとのことだったので超音波だけかと思ったら内診も受けた。 このくらいで張りも落ち着いているのなら、点滴から内服に変えましょうとのこと。 やった!入院した当初は、34週が終わるまで点滴と言われていたので、 メチャクチャうれしい。私、もれやすいんだもん>点滴。 シャワーが2時半からだったので、そのときにはずしてもらえた。
入院した日は夕食も食べていなかったので、先週の水曜以来6日ぶりのシャワー。 熱を測るときに、自分の体ながらホームレス臭を感じたので(笑)、 やっとのことでさっぱりさっぱり。

2001/9/12 wed

点滴を取ると張り返しがくるかも、とのことだったが、 昨日の夕方から確かに軽いながらも頻繁に張るようになった。 が、内服を続けていたらそれも治まってきた。
昨日は台風の関東直撃で、今朝はズームイン朝を見ようと思ったら米国テロの報道。 大して使わない予定だったテレビカードの残度数が減りまくり。 でも、面会にきたあまには、「いいなぁ、見まくれて」とうらやましがられた。

2001/9/13 thu

朝、血液検査と尿検査をする。今度は尿検査はカップだったので、少しホッ。
午後に先生が来て、やはり貧血気味だと言われた。風邪薬が終わったと思ったら、 今度は鉄剤と、鉄剤の吸収をよくするためのビタミンCを処方されてしまった。 鉄剤は副作用で、少し吐き気がするかも、とのこと。
入院中毎日、午前と午後に40分ずつ、 赤ちゃんの心音とお腹の張りを見る機械をつけるのだが、 看護婦さんに聞いたところによると、 胎児というのはだいたい20分おきに寝たり起きたりしているので、 40分ずつつけるらしい。
「機械をつけている時間にもちゃんとした理由があるんですよ」と言われたけど、 別にテキトーだと思ってたわけじゃないよ>看護婦さん。笑い

2001/9/14 fri

M先生のお話だと、このまま何もなければ来週には退院させてもらえるかもしれないので、 ひたすらおとなしく過ごす。 でも、手元にある本をすべて読み終わってしまい、かなり暇。
6人部屋なのだが、相次ぐ退院ですでに3人になっている。 明日また1人退院するらしい。 ていうか、この部屋、なんで新しい人が入ってこないんだろう。笑い

2001/9/15 sat

今日は小野路のお祭りに消防団が借り出されるため、あまが来られない。 ということは、今日1日ヒマであることが必至なので、すぐに読み終わらないように、 ちびちびと昨日持ってきてもらったハリポタ3巻を読んで午前中を過ごした。 さすがに病院で辞書首っ引きはつらいので、結局日本語版を読み始めた。
午後はシャワーのあと、頼まれて首筋の超音波を取る被検者になって、 その後はお腹の機械を40分つけたあと、あまの弟Tくんたちが来てくれて、 すぐ夕食になったので、さほど退屈せずに済んだ。
食後に大ママが来たが、頼んでいた本はまだ買ってないとのことでがっかり。

2001/9/16 sun

午前中、妊婦検診。先週からの1週間で、お腹周りが急に3cmも大きくなっていて、 看護婦さんに驚かれた。そういや、体重も1kg近く増えてました…。 病院食しか食べてないのに!
今日は久しぶりにO先生がきた。 とりあえず35週までは…と言うので、M先生はもうそろそろいいかも、 とおっしゃってくれたのですがと押してみる。 そしたら、とりあえず今日から少しずつ動いてみましょうかと、 トイレ・洗面以外も少し歩く許可をもらった。
ハリポタを午前中に読み終えてしまい、テレビを見て過ごしていると、 5時になってようやくあまがみーとなおを連れてきた。 日曜だからもうちょっと早く来ると思ったのに。笑い
巧は今日、ピアノのコンクールだったので、7時頃に大ママ達に連れられてきた。 巧も姪のマリも、賞には入らなかったらしいが、まあオリンピックみたいなもんだからね。 その後、あまと巧とはカルセプの話やハリポタの話で盛り上がったが、 みーとなおは談話室でテレビにつきっきりだった。

2001/9/17 mon

今日から34週。 M先生からは、34週を過ぎたら、もし破水したらもう止めません、と言われている。 でも私、分娩台に上がるまで破水したことないんだよねぇ。笑い
今朝早くにまた血液検査で血を抜かれる。 午後に結果が出るが、少し行動範囲を広げましょうかと、 エレベーターで階下の売店まで行くのを許可された。 その後、続々と入院してきて、2人しかいなかった部屋があっという間に満室に。
夕方、あまが子どもとおばあちゃんを連れてきて、その後にO先生がきた。 貧血の回復はまだ微々たるものだし、張りのほうも歩き始めて2〜3日は様子を見ないと、 とのことで、今週中の釈放は望み薄になった。がっくり。

2001/9/18 tue

午前中、M先生とO先生が一緒にみえた。M先生によると、明日診察してみて、 落ち着いているようなら明後日退院してもいいとのこと。M先生、いい人だっ!笑い
が、今日は昨日より動いてみたためか、夕食前にお腹が頻繁に張ってビビる。 食後薬を飲んで静かにしていたら、面会の頃には落ち着いて一安心。 昨日入院した4人のうち、私の並びの2人が今日手術を受けたばかりのため、 面会時間は私も一緒に談話室へ行った。椅子にずっと座っていたが、特に張りも起きず、 いい調子。

2001/9/19 wed

夕べはせっかく早くに部屋が暗くなったのに、なかなか寝付けず困った。
午前中、新しく入った向かいのHさん、Iさんといろいろお話する。 Hさんは双子ちゃんを妊娠中で、どうやら双子の場合、 有無を言わせず8ヶ月になったら観察のために入院させられるらしい。 また、Hさんは保母さんだそうで、保育園の話でもひとしきり盛り上がった。
お昼前に退院診察があり、OKがでる。うれしい〜。 でも、推定体重が2700gと聞いて、思わず「は!?」と声を上げてしまった。 先週2200gくらいと言われたのに!多少の誤差はあっても、まあ2500gは固いだろう。 お腹周りと体重が増えたのは、単純に子どもがデカくなっているだけらしい。 予定日まで入れておいたら大変なことになりそうだ。
それと、ずっと頭から離れなかった質問、「ダウン症とかの場合、 生まれてすぐにわかるんでしょうか?」を聞いてみた。 「わりと早くにわかりますよ」とのこと。 どんな子が生まれてきても受け入れるしかないとはいえ、 せっかく初めての女の子なんだし、やはりできれば健康な子であってほしい。 それだけが心配。

2001/9/20 thu

いよいよ退院。最長4週間と言われたが、2週間で済んでホントによかった。 でも、せっかく仲良くなったHさんとIさんとは、すぐにお別れで残念。
あまが午後早くに迎えにきてくれる予定だったが、2時を過ぎても来ないので、 先生や看護婦さんに心配される。2時半から助教授回診が始まるというので、 それまでには帰りたいなぁとあまに電話をしてみたが、 いろいろトラブルがあってもうちょっとかかるとのこと。
もう着替えも荷造りも済んでいたので、ベッドで待っていたら、 いよいよ看護婦さんがきて「回診始まっちゃうよ。どうする?  …せっかくだから受けて帰ろうか!」 と、カーテンを閉められてしまった。ええ〜うそ〜。
やや観念して横になっていたら、やっとあまが来てくれたので、慌てて退散する。

2001/9/23 sun

さすがにそろそろ赤ちゃん用品を買わねば、ということで、多摩センターに買い物に。 8月の終わりから安静にしていた上、2週間も入院していたし、さらに貧血なわけで、 少し歩いただけでもかなりクラクラ。ベビーの肌着を見ていて、 しゃがんでから立ち上がったらマジで貧血を起こしそうになった。 体力なさすぎ。こんなんでちゃんと出産できるんだろうか。 ゆっくり動きながら、とりあえず必要なものは買い揃えた。
そういえば、てつのところも、昨日女の子が生まれたとのこと。 今年は女の子の当たり年かな?つか、てつはNな使途だから女の子なのか。笑い

2001/9/24 mon

今日から35週。M先生的には産んでオッケー!な週に入った。
でも、まだ関野家的にはダメなんだけど。なおの運動会は来週…。 さらに、あまは7、8日は職員旅行、15〜19日は泊りがけで研修と、大忙し。 入退院がなるべくこの日にかからないように産みたいのだけれど。
それになんかもう、お腹いっぱいいっぱいに、はちきれそうに赤ちゃんがいる気がする。 ああ、心の底から早く産みたい…。
午後、あまの妹Yちゃんと彼氏のJくんが、退院祝いのお花を持ってきてくれた。 お兄ちゃんが3人いる女の子って大変だね、という話になって、 「(お兄ちゃんが2人いる)Yちゃんは、小さい頃どうだったの?」と聞いたら、 「パシリだったよ」。 …。「いつもアレ持って来いとかコレ持って来いとか言われてて、 それまでずっとハイハイ聞いてたんだけど、あるとき『これはおかしい!』と思って、 一度『やだ』って言ったら、ものすごく怒られて、結局『ハイ』って言って持ってきた」  ……。ごめん、爆笑しちゃった。笑い

2001/9/25 tue

退院後の診察のため、病院へ。看護婦さんがM先生と言っていたのにO先生だった。
診察の結果は、今朝まで張り止めのウテメリンを飲んでいたので、多少開きかけてるけど、 まあまだ大丈夫でしょう、とのこと。今日超音波で赤ちゃんの推定体重を出したら、 2560gくらいだった。さすがに退院診察のときは大きく出しすぎたらしい。 どうも前から、O先生は超音波とるのがヘタなんじゃないかと思ってたよ。笑い
にしても、「やっぱり35週で2500gは大きいですよね」と言うと、 「そうですね、36週の大きさは十分ありますね」とのこと。 早く産みたい…とこぼしたら、 「早く産みたいからってあんまり動き回らないでくださいね」と釘をさされてしまった。 バレテ〜ラ!

その後、大ママと食事。なおが、入院中にはキスしてくれなかったのに、 退院したらまたしてくれたんだよ、なんて話をしたら、 巧がピアノのコンクールのとき、えらく時間を気にしていたという話を聞く。 あんまり気にするので、大ママが理由を聞いたら、 「病院(の面会時間)に間に合う?」と心配そうに言ったらしい。 ちょっと意外だったけど、母親の入院っていうのは、 子どもにはかなり影響があるんだなぁとしみじみ。

2001/9/26 wed

元から股関節が弱いほうなんだけど、これだけのお腹を支えているためか、 入院中くらいから右足の付け根がものすごく痛くなってきた。 この前買い物に行ったときにあまりにもフラフラしたので、 運動不足を解消するためにまた買い物に出かけたら、貧血こそ起こさなかったものの、 帰ってきてから腰もすごく痛くなってしまった。 なにしろ妊娠前からすると+8kgにはなってるから、 足腰に負担がかかるのは当たり前なんだけど。 というか、体重は増えてるのに、顔がげっそりしてきている気がする。 鉄分も含め、養分は全部お腹の子に吸い取られているらしい…。
そんなこんなで、ズボンを穿くときに片足で立ったら、お腹の中の筋がピキッと痛んだ。 片足で立つのは危険らしい。お腹が大きいときは、ズボンは座ってから穿きましょう。

2001/9/28 fri

天気予報では肌寒い1日とのことだったが、午後から蒸し暑くなる。 巧が移動教室に出かけるため、今朝は早く起きたので、 昼寝をしようとしたのだが、暑くてとっても寝ていられない。 負担がかからない程度に、と洗濯機を回したり、部屋を片付けたりする。
夕方、溜まったゴミを瑞紀に庭に出してもらったが、火をつけるのは瑞紀には無理なので、 自分で火をつけに外に出る。ほぼ終わり、という頃に、 やわらかい土に足元を取られてコケてしまった。 コケかたはゆっくりだったので、お腹には負担はなかったのだが、運が悪いことに、 ちょうど手が落ちた辺りにブリキの桶があり、その縁が鋭かったようで、 手首の下の肉をえぐってしまった。 痛みをそれほど感じなかったので、かすり傷だと思ったのに、見てみてビックリ。
もう定時を過ぎた時間だったので、すぐあまに帰ってきてもらい、 永山病院に電話して夜間外来へ。 あまには、家に帰ってきてから病院に着いてまでずっと、 「ゴミなんか燃さなくていいのに!」とかんかんに怒られた。しくしく。 別にそんなムチャをしたわけじゃなくて、不幸な事故が重なっただけなんだよう。
しばらく待たされたが、ちょうど外科の先生がいらしたので、 その場で縫ってもらえることに。 あまにはアドレナリンが出ているせいだろうと言われたけど、 それほど痛みを感じていなかったのと、 もともと自分の怪我を目で見ることに関しては恐怖を感じない性質なので、 部分麻酔を打ち、消毒をして縫うところを平然と見ていたら、 お医者さんに「強いですねぇ」と誉められた。 また、途中で何度も「痛くないですか?」と聞かれたが、 「出産の痛みに比べれば」の一言で納得されてしまった。
とはいえ、あまり形のきれいな傷ではなかったため、パズルのように縫い合わせる、 と先生が表現したがごとく、大きさ的にはさほどでないのに7針ほど縫われた。 翌日消毒に来るように言われ、帰宅。
心臓より下にさげるとまだ痛むだろうと思ってずっと手を上げていたためか、 特に痛みはひどくならず、痛み止めは飲まずに済ませた。

2001/9/29 sat

あまは仕事のため、大ママに頼んで病院に連れて行ってもらう。 瑞紀は学校だし、巧は移動教室から帰ってくるのは夕方なので、 なおだけおばあちゃんに見ていてもらおうと思ったのだが、 「一緒に行く」というので連れて行くことに。 消毒はすぐ済んで、「傷口はきれいだし、自分で1日1回消毒をしていれば、 あとは1週間後に抜糸にくればよい」とのこと。 ただ、まだ手を下におろすと痛みがあるので、ずっと手を上げて歩く。
ゆっくり行ったのに昼前に全部終わってしまったので、そのまま町田に行く。 まず三省堂で、「町田・相模原新鋭作家フェア」に出展されているというレマニ本を確認。 隔離された場所かと思ったら、レジの前の普通の棚に陳列されていて、ビックリする。 が、すでに文芸社には在庫がないはずなのに、 どう見ても売っているように置いてあったことに少し怒りを覚える。
その後食事をして、東急の新館に新しくできた店を見て回り、帰宅。 夕方はおじいちゃん、パパ、子ども達が庭で遊んでいて、それをのんびり見て過ごす。 特に何も言われなかったのでお風呂にも入ったが、濡らすのはよくないだろうと、 ビニールで左手を覆って入り、あまに頭と体を洗ってもらった。

2001/9/30 sun

朝起きたら、もう手をおろしても痛みがなくなっていた。 お腹のほうもなんだかすっかり落ち着いてしまって、 このままだと10月2日に産むという目論見が崩れてしまいそうなので、 あまり無理のない程度にちょこちょこ動く。 そのおかげか、それほど頻繁ではなく、少し張るようになってきたので、いい感じかも。


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