妊娠日記 4人目出産顛末記



〜出産〜


あま:夫
おじいちゃんおばあちゃん:夫の両親
大パパ大ママ:私の両親
巧:長男(5年生)
瑞紀:次男(2年生)
なお:三男(保育園年中組)
萌希:長女(今回出産児)

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2001/10/12 fri

妊婦検診。大ママは仕事なので、あまに病院まで送ってもらう。 送り迎えだけでいいつもりだったのだが、 また迎えに来るのも面倒なので、一緒にいてくれるとのこと。
10時過ぎに病院に着き、かなり待たされている間に、10分間隔でお腹が張るように。 M先生の診察を受けると、子宮口が4cm開いているし、張りも10分間隔なので、 このまま入院しましょうと言われる。
荷物はすでに預けてあったので、そのまま病棟へ行き、 仕事を抜け出してきたあまを一旦帰して、私は分娩台の上で、 お腹の機械をつけて様子をみることに。 陣痛は3分置きになったが、腰が痛くなってしまい、一度隣の陣痛室に移る。

昼食を食べ損ねていたので、おやつをありがたくいただき、部屋をうろうろするが、 痛みは思うほどには強くならない。 何度か内診してもらうと、少しずつは進行しているものの、 赤ちゃんの頭はさほど下がっていないとのこと。助産婦さんに、 きっとまだ生まれたくないのねと言われる。
M先生は私が産みたがっているのをわかってくださり、 妊婦検診のときに続いて夕方の内診のときにも刺激をしてくれて、 気分的にはかなり進行してきた。 1分置きの陣痛に耐えながらなんとか夕食を終え、分娩台に上がって機械をつけたら、 あろうことかまたしても間遠になってきてしまう。 もう子宮口は6〜7cm開いているというのに!

夜の9時頃、ちょうど当直だったO先生に、「もし明日になっても進まないようなら、 陣痛促進剤をつかうことを考えましょう。で、今日はもう寝ましょうか」と言われる。 出産本番のためには、体力を温存するために寝たほうがいいとのこと。 眠れないようなら軽い睡眠剤を出しますと言われ、 遅くとも明日には産ませてもらえる安心はできたが、 すでにかなり痛みがあったので、どうせなら早く産みたいと、夜中近くまで粘ってみた。 自分ではかなり痛くなっていたが、出産の陣痛にはまだまだらしく、 結局あまにも帰ってもらって寝ることに。

2001/10/13 sat

軽い睡眠剤を飲んだものの、痛みは消えないので、痛みの度に目がさめてしまう。
それでも3時間くらいはうとうとしたが、その後は痛みが頻繁になってしまい、 ほとんど眠れなかった。
座っていると痛みは増すが、横になると引きこそしないものの多少楽になる。 瑞紀のときにも言われたのだが、やはり私はもともと微弱陣痛らしい。
このときすでに子宮口は7〜8センチは開いていたので、 担当助産婦のYさんに、とりあえず朝食を食べてからがんばろうと言われ、 その前に機械をつけましょうとセットした途端、お腹をすごい勢いで蹴られた。
思わず「痛っ」と叫んだ直後、股からバシャッと水のようなものが吹き出した。 破水したらしい。

Yさんが、破水すると痛みが強くなるから分娩台に行きましょう、 と言うのでベッドから立ち上がろうとしたら、今までにないほどの痛みと、 お尻にくる圧迫感で、つい力が入ってしまった。 汚い表現だがウ○チをもらしてしまったような感覚があり、とても立てない。 それを言うとYさんが慌てて車イスを持ってきてくれて、 ほんの数メートル先の分娩台に移動。
台に上がるとやはりもう頭が出かかっていたらしく、 「まだいきんじゃダメよ、ハー、ハーね」と言われるが、 痛いのでかなり意識をしっかり集中させないと呼吸がハーハーにならない。 他の看護婦さんも飛んできて(この病棟の看護婦さんは全員助産婦の資格を持っている)、 股の間をまだ赤ちゃんが出てこないように手で押さえながら(笑)、 先生を呼ぶ。

O先生が来た頃、もうイキまなくても、ハーハーで産まれるよと言われ、 ときどき力は入ってしまうものの努めて呼吸に集中する。 その後は、頭が半分ほど出ている状態での待機(陣痛の合間)は痛かったが、 比較的落ち着いて呼吸できて、 頭が出てからは「下を向いて赤ちゃんを見よう」と言われ、 下を見ながら呼吸を続ける。
足のあたりが引っかかったようでYさんが取り出すのにやや苦労していたが、 7時4分、出産。無事、女の子だった。
赤ちゃんの体が全部出たあと、またしてもバシャーンと水が出て、 床は水浸しになった模様。すみませんね…。
カルテに書くために助産婦さんが確認するのを聞いていたら、 破水は6時50分だったとのこと。げ、15分も経ってないよ!
気が遠くなるほど長かった陣痛期間に比べ、なんたるスピード出産。
後で聞いたところ、普通は担当助産婦さんは手術着のようなガウンを着て、 手袋をしてお産に臨むらしいが、ガウンを着るヒマなどなく、 とりあえず手首から先だけきれいにすればいいや! という状態で取り上げてくれたらしい。そもそも、ハーハーだけで産まれちゃうこと自体、 かなり珍しい状態らしい。
助産婦さんでも笑っちゃうほどのスピードお産だったそうでございます。
しかし、おしるしといい破水といい、もう4人目だというのに今回初めてのことが多い。 ホント、出産て、毎回違うんだよねぇ。産む人一人ひとり、生まれる子ども一人ひとりで、 それぞれ全部違う。不思議なものだよね。

しばらくすると、 助産婦さんが産湯につかったばかりの、 布に巻かれただけの萌希をしばらく胸に乗せてくれた。
萌希は頭が出てすぐにホニャッと泣いていたが、 きれいにしてもらって私の胸にいる間はおとなしかった。 自分で卵膜を蹴やぶって生まれてきた子(笑)とは思えない。
後産(胎盤のお産)は手間取ったものの痛くはなかったが、 すでに恐れていた後陣痛(子宮収縮の痛み)が始まっている。 切れた部分を縫うのも、時々麻酔が効いてないところがあり、飛び上がりそうになる。 頼むよ、O先生〜。
処置が一通り終わり、肌着を着せてもらった萌希をまた抱かせてもらったところに、 丁度あまが到着。しばらく写真を取ったりおしゃべりしたりする。
9時過ぎに萌希を看護婦さんに預け、産後2時間経過したので、 私も歩いて病室に移動することに。 お産の時間が短かったため、体力を全然使わなかったおかげで、 かなりスタスタ歩けてしまい、看護婦さんに「元気ですね」と驚かれてしまった。
一通り産後の説明を受けた後、あまは小学校の授業参観のため戻り、 私は遅い朝食を取る。時間的にはお腹が空いていて当たり前なのに、 体力を使わなかったせいか、食欲はあまりわかず、珍しく少しご飯を残す。 その後、少しうとうとしたものの、さらに2時間も経たない内に昼食になり、 さすがに半分ほどしか食べなかった。私としたことが!

授乳は明日からなので、午後からはすることがなかったが、 1時に大ママが来てくれて、おしゃべりしてしばらく過ごした。 時々後陣痛がきて声も出せなくなる。 なおの出産のとき、後陣痛は産む人数が増えるほど痛くなると言われていたので、 覚悟はしていたが、陣痛など目じゃないほど痛い。 陣痛と違って少しずつ治るのがわかっているのが救いではあるが、泣ける。
3時の新生児面会時間に、がるが来てくれた。 新生児の面会はガラス越しなのだが、ちょうど土曜日のため面会に来る人が多く、 萌希の前の場所が空くまでspyzを見せてもらう。ちっこい〜。
その後写真を撮り、あまが来るのを待つと、ほどなく瑞紀となおを連れてきた。 巧はお友達の家に遊びに行ったらしい。
夕方、大ママは大パパを迎えに行き、姉の子2人も連れて再登場、 おじいちゃんおばあちゃんも巧を連れてきたため大所帯になる。 やがてがるが帰り、おじいちゃんたちがうちの子を連れて帰り、 大ママたちが後から来た姉親子と帰りして、あまだけ残った。
2人でゆっくりして、8時にお別れ。


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